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1995年から96年にかけて阪神淡路大震災、オウム真理教、バブル崩壊後の企業倒産、住専・HIV問題と行政、いままで地下に潜んでいた問題が一気に表面化してきた。また、もっともっと仕事をして欲しい人が没したりと。今時代は大きく変わろうとしている。
震災から一か月後の神戸の町を歩いた時、巨大なビルが倒壊したり、アスファルト道路にできた網の目の様なひび割れ、等々。考えられない大きさのエネルギーに恐怖を感じたが、記憶に焼きついているのは猫たちの姿だった。路地の側溝から側溝へ走り抜けて行く様、何台もの車の上に覆いかぶさったマンションの瓦礫の内から外を見つめて鳴く様、人の近くまで行こうとするのだが決して側までは寄らずに鳴き声を上げていた様、突然の出来事に居場所を失った恐怖の眼だった。
安全です!という言葉に乗って突き進んで来た時代は終わり、自らの知恵と判断で進んで行く事が出来なければならない時代が来ている。
95年9月に学園の関口さんより、96年度に50周年を迎えるので学園の姿を撮影してくれないかとの連絡を頂いた。以前に、取材で二度ほど訪ねた事があり、職員の方々の「子供達のために」と眼を輝かせて話される姿勢と、建築の姿が心に残っていた。
普段から建築を印刷物で見る時、ほとんどが建築家の考えと、きれいでダイナミックか説明のためだけの写真しかみられず、もっと様々な視点からの声と写真が記載されていれば良いのにと思っていたので、喜んで仕事をさせて頂くことにした。写真集制作のための期間は95年10月から96年4月の180日になり、生活している子供達に迷惑がかからなければ自由に撮って下さいと全てを任されて撮影を始めた。
人が建築をつくり、建築が人を育てる。
建築がまちをつくり、まちが建築を育てる。
サレジオの大人たちの愛と、創造性が豊かで本番に強い子供達、そして何度となく見かけた藤木隆男建築研究所の人たち。写真のまとめの作業を樹庵で行っていた時、24畳の全面に広げられた写真の上を、風に乗り若い緑の匂いと、学園長の足音と唄が通り過ぎていった。今という時代の中、サレジオの森でのいとなみが社会に伝えられ、次の時代を作る子供たちにとって、自信と記憶の一部になって呉れればと願っている。
北田英治(写真家)1996年6月
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